1971年11月24日。
アメリカ・オレゴン州ポートランドからワシントン州シアトルへ向かっていたノースウエスト・オリエント航空305便に、一人の男が乗り込みました。
男は自分を「ダン・クーパー」と名乗りました。
そして、客室乗務員に一枚の紙を渡します。
そこには、爆弾を持っていることを示す内容が書かれていました。
こうして、アメリカ犯罪史上でも極めて異例のハイジャック事件が始まります。
男の要求は、現金20万ドル、パラシュート4つ、そして燃料を満載した状態での離陸でした。
しかし、この事件が伝説になった最大の理由は、その後です。
男は身代金を受け取った後、夜の空へ飛び降りました。
そして――。
二度と姿を現しませんでした。
遺体も発見されない。
身代金の大半も見つからない。
確実な目撃情報もない。
逮捕された犯人もいない。
50年以上が経過した現在も、事件は完全には解決していません。
一人の男が、飛行機からパラシュートで飛び降り、そのまま消えてしまったのです。
■ 「D.B.クーパー」とは何者だったのか?
まず、重要な点があります。
実は「D.B.クーパー」という名前は、本人が名乗った名前ではありません。
男が航空会社に伝えた名前は「Dan Cooper」でした。
しかし事件後、メディアの報道によって「D.B. Cooper」という名前が広まり、現在ではこの名前が世界的に定着しています。
男の年齢は40歳前後と推定されています。
身長はおよそ170~180cm程度。
黒っぽいスーツを着用し、ネクタイを締め、サングラスをかけていました。
乗客の証言によれば、非常に落ち着いた人物だったとされています。
興奮した様子もなく、客室乗務員に対しても比較的冷静に指示を出していました。
つまり、映画に登場するような取り乱したハイジャック犯とはかなり違っていたのです。
■ 305便をハイジャック
1971年11月24日。
男はポートランド国際空港からシアトルへ向かう305便に搭乗しました。
航空券は片道でした。
座席は後方の18C。
そして離陸後、客室乗務員のフローレンス・シャフナーに小さな紙を渡しました。
最初、シャフナーは単なる電話番号などが書かれていると思い、ポケットにしまおうとしました。
しかしクーパーは彼女を呼び止めます。
そして、紙には爆弾があることを伝える内容が書かれていました。
さらに彼は、自分のブリーフケースを少し開き、内部に赤い棒状の物体や配線のようなものが見える状態にしたとされています。
それが本物の爆弾だったのか、それとも偽物だったのか。
現在でも完全には分かっていません。
■ 要求された「20万ドル」
クーパーが要求したのは、20万ドルの現金でした。
当時としては非常に高額です。
現在の価値に単純換算することはできませんが、1971年の20万ドルは、現在の数百万ドルに相当する規模の金額でした。
さらに彼は、パラシュートを4つ用意するよう要求しました。
なぜ4つだったのでしょうか。
ここには重要な意味があります。
もしクーパーが自分だけで飛び降りるつもりなら、パラシュートは2つ程度でも十分です。
しかし4つ要求することで、当局に対して、複数人の人質と一緒に飛び降りる可能性を意識させたのではないかと考えられています。
また、パラシュートのうち一部には予備用のものも含まれていました。
この要求からも、クーパーが航空機から脱出することをかなり具体的に考えていた可能性が分かります。
■ シアトルで身代金を受け取る
航空会社側は要求を受け入れました。
そして305便はシアトルへ向かいます。
到着後、乗客は全員降ろされました。
その間に、要求された現金とパラシュートが航空機へ運び込まれます。
クーパーは現金を受け取ります。
そして、乗務員の一部を残したまま、再び飛行機を離陸させました。
ここからが、事件最大の謎です。
■ 「夜の空へ消える」
クーパーはパイロットに、メキシコ方面へ向かうような飛行ルートを要求しました。
しかし、その後の要求はさらに異例でした。
低い高度。
比較的遅い速度。
そして、後部階段を使用できる状態で飛行すること。
当時のボーイング727には、機体後部から展開できる階段がありました。
クーパーは、この設備を使って飛行中に脱出する計画を立てていたのです。
そして午後8時ごろ。
機体は夜の空を飛行していました。
その瞬間――。
クーパーは後部階段を開き、パラシュートを装着して、身代金20万ドルとともに飛び降りたと考えられています。
飛行機には、その後誰も残っていませんでした。
■ しかし、誰も「飛び降りる瞬間」を見ていない
この事件の奇妙なところは、クーパーが飛び降りた瞬間を誰も直接確認していないことです。
乗務員たちは前方の客室にいました。
パイロットも、後部階段から男が飛び降りる瞬間を確認できませんでした。
そのため、捜査当局は航空機の飛行データなどから、クーパーが脱出したと推定しました。
そして、飛行機が着陸したとき――。
クーパーは消えていました。
■ 大規模な捜索が始まる
飛行機が着陸すると、FBIはすぐに大規模な捜索を開始しました。
予想される着地点周辺には捜査員が投入されました。
航空機からの追跡。
地上部隊による捜索。
森林地帯の調査。
河川や山間部の捜索。
しかし――。
クーパーの姿はどこにもありませんでした。
パラシュートも見つからない。
遺体も見つからない。
身代金も見つからない。
まるで地面に着く前に、男そのものが消滅したかのようでした。
■ 「本当に生きて着地したのか?」
ここから事件は、さらに謎めいていきます。
クーパーが飛び降りたと考えられる地域は、ワシントン州の森林地帯でした。
夜間。
悪天候。
低温。
そして、かなりの高さからのパラシュート降下。
決して安全な条件ではありません。
さらにクーパーは、専門的なスカイダイビング装備を持っていたわけではありませんでした。
彼が使用したパラシュートや服装も、軍やプロのスカイダイバーが使用するものとは異なっていました。
そのため、捜査当局の中には、
「クーパーは飛び降りた際に死亡したのではないか」
という可能性を早い段階から考えていました。
しかし、決定的な証拠は見つかりませんでした。
■ そして、1978年に奇妙な看板が見つかる
事件から7年後。
捜索現場周辺で、クーパーの脱出を示唆するような文章が書かれた看板が発見されたことがありました。
そのため、事件を知る人物が現場を訪れた可能性なども取り沙汰されました。
しかし、それがクーパー本人によるものなのか、それとも単なるいたずらだったのかは分かっていません。
■ 最大の手掛かり「身代金の一部」
事件から9年後の1980年。
少年がワシントン州のコロンビア川沿いでキャンプをしていた際、砂の中から大量の古い紙幣を発見しました。
それは――。
クーパーが奪った20万ドルの一部でした。
紙幣の番号を照合したところ、事件で渡された身代金の番号と一致しました。
発見された金額は約5,800ドル。
つまり、少なくともクーパーの身代金の一部が、その場所に存在していたことになります。
これは事件における極めて重要な物証です。
しかし、同時に新たな謎を生み出しました。
なぜ、その場所に紙幣があったのか?
クーパーがそこまで移動していたのか?
それとも、別の誰かが運んできたのか?
そして、残りの約19万4,000ドルはどこへ消えたのか?
現在も明確な答えはありません。
■ クーパーは死んだのか、生き延びたのか?
ここが事件最大の分岐点です。
もしクーパーが着地に失敗して死亡したのであれば、事件は「完全犯罪」ではありません。
単に犯人の遺体が見つかっていないだけです。
一方で、もし彼が無事に着地して逃亡していたなら――。
これは史上まれに見る完全犯罪になります。
なぜなら、50年以上経っても本人の確実な行方が分からないからです。
■ 実は「クーパー候補」は何人も存在する
事件後、数多くの人物が「自分がD.B.クーパーだ」と主張したり、捜査対象になったりしました。
元軍人。
パイロット。
犯罪歴のある人物。
スカイダイビング経験者。
そして、事件後に突然姿を消した人物。
FBIも長年にわたって多くの人物を調査しました。
しかし、決定的な証拠によってクーパー本人だと確認された人物はいません。
■ 「リチャード・フロイド・マッコイ」という有力候補
クーパー候補として特に有名なのが、リチャード・フロイド・マッコイです。
彼は1972年、別の航空機ハイジャック事件を起こしました。
そして、パラシュートで航空機から脱出しています。
その手口がクーパー事件と非常によく似ていたため、
「彼こそD.B.クーパーではないか?」
という説が生まれました。
しかし、FBIはマッコイをクーパー本人とは認定しませんでした。
身体的特徴などにも一致しない点があり、現在では有力な候補の一人ではあるものの、確定的な証拠はありません。
■ 「本人の家族」が名乗り出たケースも
さらに驚くべきことに、事件から何十年も経った後、クーパーの正体を知っていると主張する人物も現れました。
「父親がクーパーだった」
「叔父がクーパーだった」
など、様々な証言が登場しています。
しかし、これらの証言にも決定的な裏付けはありません。
事件があまりにも有名になったため、真偽不明の情報が大量に生まれてしまったのです。
■ FBIは2016年に捜査を終了
そして2016年。
FBIは、約45年間にわたって続けてきたD.B.クーパー事件の積極的な捜査を終了しました。
ただし、これは「事件の謎が解明された」という意味ではありません。
むしろ、決定的な手掛かりが得られないまま、捜査に投入する資源を別の事件へ振り向けるという判断でした。
事件そのものが正式に「解決」したわけではありません。
■ なぜ「完全犯罪」と呼ばれるのか?
D.B.クーパー事件が伝説になった理由は、単純です。
犯人が捕まっていない。
そして、犯人の生死すら確定していない。
さらに、身代金の大部分も見つかっていません。
つまり、
「犯人がどこへ行ったのか」
「どこで生活したのか」
「本名は何だったのか」
「最後にどこで死亡したのか」
そのほとんどが分からないのです。
■ もしクーパーが生きていたら?
ここからは、都市伝説として考えてみましょう。
もしクーパーが無事に着地していたとしたら。
彼は夜の森林を歩き、誰にも見つからない場所へ移動した。
そして、身代金の一部を隠した。
別人として生活を始める。
髪型を変える。
名前を変える。
仕事を変える。
そして、事件について一切語らない。
何十年もの間、普通の市民として生活する。
そんな可能性も完全には否定できません。
もしそうなら、クーパーはすでにこの世を去っている可能性もあります。
そして、その正体を知っている人物も、もう存在しないのかもしれません。
■ 逆に、あの夜に死亡していたら?
一方で、まったく違う結末も考えられます。
クーパーは夜の闇の中で着地に失敗した。
森林のどこかで死亡した。
遺体は深い森に埋もれ、発見されなかった。
身代金の一部だけが川沿いへ流れ着いた。
そして、その後50年以上、遺体は発見されないまま。
この説なら、クーパーが突然消えた理由を比較的簡単に説明できます。
しかし、それを証明する遺体が存在しない。
だからこそ、謎が残ります。
■ 「D.B.クーパー」という人物は、何者だったのか?
捜査資料や目撃証言からは、クーパーが航空機やパラシュートについて一定の知識を持っていた可能性が指摘されています。
しかし、彼が軍人だったのか。
元パイロットだったのか。
スカイダイバーだったのか。
それとも、単なる大胆な一般人だったのか。
確実なことは分かりません。
むしろ、ここまで情報が残っているにもかかわらず、本名すら分からないことが事件の異常さを物語っています。
■ 「完全犯罪」は本当に成立したのか?
D.B.クーパー事件を「完全犯罪」と呼ぶことには、少しだけ注意が必要です。
なぜなら、クーパーが実際に生還した証拠はないからです。
もし飛び降り後に死亡していたのであれば、犯罪者として逃げ切ったわけではありません。
しかし――。
生還した可能性も完全には消えていない。
だからこそ、半世紀以上経った現在も「完全犯罪」という言葉が使われ続けています。
■ そして、最後に残された謎の紙幣
1980年に発見された約5,800ドルの身代金。
これは現在もD.B.クーパー事件を象徴する物証の一つです。
もしクーパーが無事に逃亡していたのなら、なぜその一部を川岸に残したのでしょうか。
偶然落としたのか。
隠したのか。
あるいは、別の人物がそこへ持ってきたのか。
答えは分かりません。
ただ一つ確かなのは、あの紙幣が事件から9年後に発見されたことで、クーパー事件は単なる「未解決ハイジャック」から、さらに奇妙な謎へ変わったということです。
■ D.B.クーパーはどこへ消えたのか?
1971年11月24日。
一人の男が航空機をハイジャックしました。
20万ドルを要求し、パラシュートを受け取り、夜の空へ飛び降りました。
そして――。
消えました。
50年以上経った今も、確実な正体は分かっていません。
彼が生きていたのか、死亡したのかさえ確定していません。
そして、20万ドルの大半も発見されていません。
FBIによる長年の捜査でも、事件を完全に解明することはできませんでした。
■ 最後に残る、ひとつの可能性
もしかすると、クーパーは特別なスーパーマンではなかったのかもしれません。
ただ、極端に大胆で、冷静な人物だった。
そして、夜の森へ消えた後、二度と誰にも正体を明かさなかった。
あるいは――。
あの夜、パラシュートが開かなかったのかもしれません。
どちらが真実なのか。
今となっては、本人だけが知っています。
そして、その人物がすでに亡くなっているのなら、真相を知る者はもう誰もいません。
D.B.クーパー事件がこれほど長く人々を惹きつける理由は、単に犯人が逃げ切ったからではありません。
「生きて逃げたのか、それとも死んだのか」
その答えさえ、歴史の中に消えてしまったからです。
そして今も、アメリカ北西部の森のどこかには――。
50年以上前に夜空から降りてきた、一人の男の最後の痕跡が残されているのかもしれません。
D.B.クーパーの完全犯罪
ハイジャック犯はどこへ消えたのか?